第3回 オレンジコープの前身 緑ヶ丘生協 はじまりは浴場
2025/10/6
 川崎重工から提示された浴場の譲渡金額は60万円だった。生協設立のための出資金を一口200円と定め、一度に出資できない場合は毎月20円の分割払いとして労働組合員や地域住民に生協加入を呼びかけた。こうして集めた資金を深日の農協に預け、それを担保に60万円を借り入れて川崎重工に納付。浴場を資産として大阪府の商工課に生協設立を申請し、1950年3月15日晴れて緑ヶ丘生協が誕生する。設立時の登記簿によると「事業区域は、大阪府泉南郡深日町緑ヶ丘一円若宮門前地域とする」となっている。若宮は緑ヶ丘同様に川崎重工の社宅があったところ、門前には社宅はなかったが社員がたくさん住んでいた地域である。出資金を納めた世帯には(一部出資者にも)浴場の利用券が発行され、甦った共同浴場は「くみあいの風呂」と呼ばれて連日たくさんの利用者でにぎわった。
緑ヶ丘生協が最初に資産としての浴場を手に入れて事業をスタートさせたことは偶然とは言え大変な幸運だった。当時の共同浴場は日常生活に不可欠な施設であり、ほとんどの住民が生協に加入したのだから。また、燃料の木材は町内の鈴木製材所や日本工機の木工場からタダ同然で分けてもらえたので経営も安定。カメ風呂(子供向けにおもちゃのカメを浮かべた風呂)やサウナ風呂も増設した。また、ほどなくして米穀販売の免許も取得。続いて下駄やせっけんなどの共同購買にも着手したが、いずれも軌道にのらず早々に撤退している。逆に風呂屋に続いて成功したのは隣に開いた美容室(当時はパーマ屋と呼んだ)と屎尿の汲み取り業。これらの利用事業は昭和の末年近くまで営業を続けていた。

