第6回 1979年春「泉南生活協同組合」に 本格的な組合員拡大がスタート
2025/10/27
 牛乳に続いて卵の取り扱いが始まったがこれも倉庫の無い悲しさ、笠原が毎朝養鶏場まで引き取りに行き、その足で各グループへ配送するという「朝入荷・当日配達」だった。その後、徐々に取り扱い商品が充実して組合員が増え始めた頃、理事会ではきちんとした事務所を備えた倉庫を建てようという話になる。そこで候補にあがった場所が今の本部がある「泉南市信達岡中」だった。懸案の建築資金は国民金融公庫から借りることに。もちろん政府系金融機関といえども財務基盤の弱い貧乏生協に進んで融資してくれるはずがない。この件については連帯保証人を引き受けてくれた岬町議会の議長だった当時の理事長・河合正直の尽力によるところが大きい。この地にプレハブ2階建ての事務所兼倉庫を建てて1979年春の総代会で「泉南生活協同組合」に名称変更。満を持して本格的な組合員拡大に乗り出した。翌年、長年に渡って地域の生活を支えてきた「くみあいの風呂」は正式に閉鎖決定。建物や煙突を解体することになった。
 その頃、岬町の南の和歌山県でも生協設立を目指す住民運動が盛り上がりを見せていた。その住民グループから支援要請を受けた泉南生協は今回も大阪府生協連合会に相談することに・・・その結果、府連理事会は傘下の大学生協が設立を支援すると決定。関西大学、大阪市立大学、大阪工業大学、桃山学院大学、大阪経済大学などの組織部の学生たちが岬町に集まってきた。宿泊場所は営業を中止したばかりの風呂屋の2階。若いみんなは合宿気分で岬町と和歌山市を往復して連日ビラをまき続けた。この活動はよほど珍しかったのかNHKが泊まり込みで取材に訪れて全国に放映されるほどだった。

