第7回 大阪と和歌山の県境地域で活動 野菜の産直も軌道に乗る

2025/11/3

 若い学生たちのビラまきの効果は絶大。あっという間に和歌山県下に600名の組合員が誕生した。1980年春、和歌山市民会館に半数近くの組合員が集まって「和歌山生活協同組合」の創立総会を開催。両生協は大阪と和歌山の県境を挟んだ地域で活動して組織を拡大していった。

 その後の20年間にあった購買事業関連の主な出来事を列挙すると以下のようになる。
★積立出資制度の実施(当初は毎月500円)
★出資金を原資にした組合員センターの新設
★瀬田農園の産直野菜取り扱い開始
★2生協の統一名称をオレンジコープに決定
★紀の国医療生協がオレンジコープに参加
★石墨慶一郎博士との出会いとコシヒカリの産直
★食べ物と暮らしを変えよう・泉南フェスティバル開催
★食べ物と暮らしを考えよう・和歌山フェスティバル開催

 野菜の産直が軌道に乗り出した頃、大阪府生協連合会の事務局長だった庵谷寿男と飲んでいるときに「オレの叔父が福井で米作りをしているので会ってみないか」という話がでた。詳しく聞いた笠原はビックリ。その叔父さんとはコシヒカリを世に送り出した育種家で農学者の石墨慶一郎博士だというではないか。博士は福井農業試験場長を退職後、福井県立大学で教鞭をとる傍ら今も兼業農家として米作りを続けているという。同行してくれるという庵谷と一緒に福井県の丸岡町を訪ねて案内してもらった田んぼでは一人の白髪の老人が野良仕事に精を出していた。それがオレンジコープと石墨博士の最初の出会いだった。

出資金で建てた泉南生協の本部

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