コラム『野のはなとともに』

読みもの紹介

コープ自然派とオレンジコープはともに新しい福祉モデルを拡げていきます。オレンジコープの取組や歩みを笠原さん(オレンジコープ理事長)によるコラム『野のはなとともに』でお届けします。

福祉は幸福。障がい者福祉とは、障がいのある人が自ら望む生活を営むことができるよう支援することです。オレンジコープは、大阪府南部と和歌山市にまたがる地域で、高齢者と障がい者の福祉事業に取り組む生協です。

2025/11/3

第7回 大阪と和歌山の県境地域で活動 野菜の産直も軌道に乗る

 若い学生たちのビラまきの効果は絶大。あっという間に和歌山県下に600名の組合員が誕生した。1980年春、和歌山市民会館に半数近くの組合員が集まって「和歌山生活協同組合」の創立総会を開催。両生協は大阪と和歌山の県境を挟んだ地域で活動して組織を拡大して...

2025/10/27

第6回 1979年春「泉南生活協同組合」に 本格的な組合員拡大がスタート

 牛乳に続いて卵の取り扱いが始まったがこれも倉庫の無い悲しさ、笠原が毎朝養鶏場まで引き取りに行き、その足で各グループへ配送するという「朝入荷・当日配達」だった。その後、徐々に取り扱い商品が充実して組合員が増え始めた頃、理事会ではきちんとした事務所を備...

2025/10/20

第5回 購買事業への転換 共同購入のための組織づくり

 1974年、総会決議を経て当時の専務理事だった堀口平三郎は大阪府生活協同組合連合会に購買事業への転換に向けた人員の支援を要請する。話は会長理事だった山上義廣から大阪市立大学生協の専務理事だった八木孝昌に伝わり、八木はすぐさま人選を開始。僕が大学に呼...

2025/10/13

第4回 緑ヶ丘生協 事業の認可区域を拡大 岬町生協へ名称を変更 

 創業から10年間の経営は順調に推移し、設立時に深日農協から借りた金員も無事に完済することができた。ところが、次第に内風呂を備えた家庭が増えて利用者が減り始めるという暗雲がただよい始めた1962年3月、浴場は火災に見舞われる。風呂の焚き口の火が燃え移...

2025/10/6

第3回 オレンジコープの前身 緑ヶ丘生協 はじまりは浴場

 川崎重工から提示された浴場の譲渡金額は60万円だった。生協設立のための出資金を一口200円と定め、一度に出資できない場合は毎月20円の分割払いとして労働組合員や地域住民に生協加入を呼びかけた。こうして集めた資金を深日の農協に預け、それを担保に60万...

2025/9/29

第2回 オレンジコープの前身 緑ヶ丘生協誕生までのあゆみ②

 戦時中の岬町はまさしく川崎重工業の町。海岸の潜水艦工場に加えて、15000人の従業員が住む緑ヶ丘という呼び名の社宅が並ぶ地域だった。そして、現在の深日港駅周辺には各種の厚生施設や病院があり、その東には社員たちが利用する共同浴場があった。当時の緑ヶ丘...

2025/9/22

第1回 オレンジコープの前身 緑ヶ丘生協誕生までのあゆみ①

 第二次世界大戦の終結から4年半が経過した1950年の春、大阪府の最南端、 泉南の地で小さな生活協同組合が産声をあげた。 泉南生協 (オレンジコープ) の前身 ・ 緑ケ丘生協のスタートだ。初の社会党政権となった片山内閣の下で1948年に 「消費生活協...

2025/9/15

【予告】新しい福祉の誕生

 社会福祉法人野のはなの福祉施設「森の小径」に行くと、中庭には花壇があり、季節の花が咲き、馬がポクポクポクと、歩いていました。のどかな1日が流れています。そこには乗馬クラブがあり、レストランも併設されています。  乗馬クラブの奥には、厩舎があり、障が...

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