コラム『野のはなとともに』

読みもの紹介

コープ自然派とオレンジコープはともに新しい福祉モデルを拡げていきます。オレンジコープの取組や歩みを笠原さん(オレンジコープ理事長)によるコラム『野のはなとともに』でお届けします。

福祉は幸福。障がい者福祉とは、障がいのある人が自ら望む生活を営むことができるよう支援することです。オレンジコープは、大阪府南部と和歌山市にまたがる地域で、高齢者と障がい者の福祉事業に取り組む生協です。

2025/12/15

第13回 障碍者支援に向けた法人を設立 社会福祉法人 野のはな

 第1号の「みのり」が動き出した2001年、やり残した課題の解決に向けて歩み出しました。それは認知症の高齢者や障碍者への支援に向けた新しい法人の設立でした。この時期に障碍者への支援ができるのは社会福祉法人だけ。生協では手が出せなかったのです。しかし、...

2025/12/8

第12回 全国でたったひとつ 「住宅事業」ができる生協に

 型破りの老人ホーム「みのり」にはマスコミの取材が相次いだ。それに加えて組合員の「口コミ」もあって開設からずっと満室状態。空き室がでたら連絡してくれと言う人も現れた。そして「〇〇さんからここはいい所だと聞いて・・・」「こちらは寝たきりになっても追い出...

2025/12/1

第11回 型破りの老人ホーム ベースは最期まで暮らせる住まい

 「介護付き住宅みのり」は他の老人ホームとはかなり違った運営をしている。それは「施設」ではなく「住まい」として高齢者が最期まで暮らせる場を提供するという理事会の考えがベースになっているからだ。  具体的に列挙すると  つまり一般の老人ホームにあるもの...

2025/11/24

第10回 ついに建設へ 介護付き住宅みのり「みのり阪南」

 「終の住まい」の建設地を探し始めたのは介護保険法が成立した直後の1998年。あちこちの不動産業者に問い合わせたが、安くていい土地はなかなか見つからない。そこで思いついたのが「競売」だった。岸和田の裁判所でリストを見せてもらったら格安の物件が並んでい...

2025/11/17

第9回 今井澄さんと介護保険法の成立

 高度経済成長期を経た日本では急速に高齢化が進んでいった。それに対して社会的弱者や生活困窮者対象の「措置制度」による特別養護老人ホームや老人保健施設などはあったが、これではとても追いつかない。高齢者介護の社会保険化を目指して準備されたのが介護保険法だ...

2025/11/10

第8回 コシヒカリと石墨慶一郎博士

 長い間、日本のうるち米作付面積のトップを走り続ける(2020年産で全国の3分の1の作付量)「コシヒカリ」は、敗戦後すぐに再開された農林省の育種事業で育てられた米で「越南17号」の系統名を持つ。その育成に携わったのが福井農事改良実験所(後の福井県農業...

2025/11/3

第7回 大阪と和歌山の県境地域で活動 野菜の産直も軌道に乗る

 若い学生たちのビラまきの効果は絶大。あっという間に和歌山県下に600名の組合員が誕生した。1980年春、和歌山市民会館に半数近くの組合員が集まって「和歌山生活協同組合」の創立総会を開催。両生協は大阪と和歌山の県境を挟んだ地域で活動して組織を拡大して...

2025/10/27

第6回 1979年春「泉南生活協同組合」に 本格的な組合員拡大がスタート

 牛乳に続いて卵の取り扱いが始まったがこれも倉庫の無い悲しさ、笠原が毎朝養鶏場まで引き取りに行き、その足で各グループへ配送するという「朝入荷・当日配達」だった。その後、徐々に取り扱い商品が充実して組合員が増え始めた頃、理事会ではきちんとした事務所を備...

2025/10/20

第5回 購買事業への転換 共同購入のための組織づくり

 1974年、総会決議を経て当時の専務理事だった堀口平三郎は大阪府生活協同組合連合会に購買事業への転換に向けた人員の支援を要請する。話は会長理事だった山上義廣から大阪市立大学生協の専務理事だった八木孝昌に伝わり、八木はすぐさま人選を開始。僕が大学に呼...

2025/10/13

第4回 緑ヶ丘生協 事業の認可区域を拡大 岬町生協へ名称を変更 

 創業から10年間の経営は順調に推移し、設立時に深日農協から借りた金員も無事に完済することができた。ところが、次第に内風呂を備えた家庭が増えて利用者が減り始めるという暗雲がただよい始めた1962年3月、浴場は火災に見舞われる。風呂の焚き口の火が燃え移...

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