「「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有および原発推進に対する意見書」を内閣総理大臣宛てに提出しました

2023/1/30

1月のコープ自然派連合理事会にて「「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有および原発推進に対する意見書」を内閣総理大臣宛てに提出することが採決されました。

これまで日本国民が大切にしてきた国のあり方に関わる以下2点について、情報公開と民主的議論を基本原則とする生活協同組合の立場から意見表明いたします。

1. 専守防衛を基本とする日本国憲法の理念に反する「反撃能力」の保有に反対します。また「反撃能力」を保有するためになされる防衛費増額および増税に反対します。

戦後日本は、専守防衛を基本とした憲法9条のもと、戦禍に巻き込まれず、一人の犠牲者も出さない平和国家を築いてきました。これは国のあり方として、日本国民に共有されています。

しかし岸田政権は2022年12月16日、外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」など安保関連3文書を改定することを閣議決定しました。「国家安全保障戦略」には相手国のミサイル発射拠点などをたたく「反撃能力」の保有を明記しています。

それに伴い防衛費も国内総生産(GDP)比2%を確保する考えを示しています。2023~2027年度の5年間で43兆円、年間では2023年度に25%増の6.8兆円(5.4兆円から1.4兆円増額)、2027年度に8.9兆円程度になる方針案が出されています。

何より「反撃能力」は、これまで相手国を攻撃する能力を保有しないとしてきた従来の安保政策から大転換になります。これは専守防衛を基本とした日本国憲法の理念に反することになります。

そして、これまで二度と日本は軍事国家とならないようにと、防衛費はGDP1%枠(※)という歯止めをかけてきました。それをGDP2%とすると、世界3位の軍事大国となり、5.5兆円の追加財源(合計11兆円)が必要となります。いずれ大増税となり、国民に負担が強いられることになりはしないか危惧します。

今、国民生活は賃金が上がらず、食料やエネルギーの高騰により疲弊しています。そのうえに大増税となるとますます困窮します。また食料自給率38%の日本は、武器よりまず食料の確保が大事です。有事となった時、武器があっても食料がなければ、日本人の生命を守ることはできません。これからお金で海外から食料を調達することはできない状況が迫りつつあります。日本国内での食料生産体制の強化が急務です。食料安全保障をないがしろにしたまま、防衛費を増額する政策に反対します。

2. 原発事故を二度と起こさないために、原発推進に断固反対します。原子力政策の大転換となる原発運転期間の延長および新増設・リプレース(建て替え)に反対します。

コープ自然派は「原発のない社会」をめざします。

2021年10月に閣議決定された「第6次エネルギー基本計画」では、「原子力については安全を最優先し、再生可能エネルギーの拡大を図る中で、可能な限り原発依存度を低減する」としています。これは岸田内閣発足当初の話です。

にもかかわらず岸田首相は2022年8月24日の「グリーントランスフォーメンション(GX)実行会議」において、運転期間延長や次世代原発の開発・建設を検討するように指示し、それからわずか4カ月で、「第6次エネルギー基本計画」に反する原子力政策の大転換を決定しました。

まず原発の運転期間「原則40年(最長60年)」を、長期停止期間を運転期間から除外する新ルールを設け、実質的に60年超の運転を可能とする決定を行いました。最長60年は「例外中の例外」としていましたが、さらにそれを超えるものになっています。また福島第一原発事故以降、新増設・リプレースは行わないとしてきましたが、廃炉が決まった原子炉は次世代原発へのリプレース(建て替え)を推進するとしました。

次世代原発として、いくつか選択肢があるようですが、有力候補の革新軽水炉は、劇的な新技術ではありません。実態は従来の原子炉と変わりません。地震や津波にどこまで耐えうるか?何の保証もありません。また欧州の次世代原発の建設は難航していると聞きます。工期は遅延を繰り返し、建設費も当初の何倍にも膨れ上がっています。

そしてたまり続ける「核のごみ」は解決のめどが立っていません。政府は核燃料サイクルの推進や、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の実施を掲げますが、数十年間試行錯誤して実現していません。「核のごみ」問題は放置して、さらなる原発推進という大転換は、空手形を切っているようなもので、あまりにも無責任と言うしかありません。

脱原発やこれまで日本国民が大切にしてきた専守防衛など、国のあり方を問う事柄について、拙速・乱暴な意思決定を行う岸田首相に国民の未来を任せられません。上記2点の即時撤回を求めます。

以上

※GDP1%枠
1976年、三木武夫内閣は「防衛関係経費の総額が国民総生産(GNP)の100分の1(1%)に相当する額を超えないことをめどとする」と閣議決定しました。
日本の防衛費は54年の自衛隊創設を経て増え、無制限に膨らむのではないかという懸念が国内外にあり、田中角栄内閣が歯止めとなる基準の議論を始め、次の三木武夫内閣のもとで各年度の防衛予算に枠を設けることになりました。
87年に中曽根康弘内閣は、在日米軍駐留経費の負担増などから、閣議決定で「防衛費の対GNP比1%枠」を撤廃しますが、その後、対GDP(国内総生産)比で、ほぼ1%弱で推移しています。

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